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 人は何歳になっても自分はまだ若いと思いがちです。年齢という現実に目をそむけたくなるようです。その為もあり、自身「老人クラブ」などとは縁がないものとずっと思ってきました。
            
 

  しかし6月上旬、顔見知りの村の方が立ち寄り、「大潟村耕心会」への入会を勧められました。「大潟村耕心会」とは村の農業年金受給者からなる老人クラブのことです。

 入会資格に農業年金受給者とはなっていますが、ルールは緩やかで、高齢者で年金受給者であれば入会が認められています。 私の住区(町内会)でも、すでに3人が入会しているとのこと。これまでも幾度か入会を誘われたことはありましたが、「老人クラブ」の響きに拒否反応があり、やんわりと辞退してきました。

 しかし、「大潟村耕心会」が村で果たして来た実績と、 「耕心会」のネーミングに惹かれ、入会を決心しました。農家では田植えも一段落し、多くの活動が再開する時期です。もっとも会員の大半は、後継者に農業経営を委譲し、言わば隠居の身分。田植えも終了したこの時期、早速活動再開とのこと。手始めに6月6日午前、村の特別養護老人ホーム「ひだまり苑」道路向かいの大きな花壇に、「マリーゴルド」の植栽作業とのこと。更に午後から、多目的運動広場で「グランドゴルフ」大会も開催。終了後に「焼き肉パーティー」を開催するとのこと。
 
 初参加のことから、「マリーゴルド」植栽作業」 と「グランドゴルフ大会」は欠席。でもちゃっかりと「焼き肉パーティー」には出席しました。会場は村民センター前の駐車場 。知らない方ばかりでは・・・と、不安と緊張のうちに会場に。しかい、結果的には半数以上の方と面識があり、ほっとしました。移住後、いろいろな会に所属し活動をしてきた結果でした。


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 日本中どこにでもある「老人クラブ」とせず、「耕心会」と名付けた事情を「耕心会」のメンバーなどに聞いてみましたが、明確なことは不明でした。教育委員会が保存する「耕心会記念誌」や「大潟村村史」を調べたところ、やっと以下のことが分かりました。

 「耕心会」の正式名称は「大潟村農業年金受給者連絡協議会」。昭和39年に村が誕生、入植者は20年の歳月を経て、経営を後継者に委譲し、年金の受給資格を得ました。平成元年、農業委員会から農業者年金制度の拡充強化のため、親睦の会を作ってはどうかという打診があり、協議会が設置されました。

 翌年平成2年、総会が行われ、秋田大学名誉教授の対馬清造氏による講演会が開催されました。「皆さんは、 これまで土を耕し、社会と家庭を支えてこられました。その経営を後継者に委ねられた今からは、心を耕して豊かな時をすごされるように・・・」との講演。これが後に会の愛称が「耕心会」となった謂れです。

 昭和43年に 、入植者の両親世代が後に老人クラブ母体となる「清風会」が設立され、昭和51年には男女合わせて会員が230人にもなりました。また昭和56年、老人クラブという呼び名に抵抗があった方々の間に、大正と昭和1桁生まれを対象にした「大昭会」も誕生しました。両会の会員は重複していたこともあり、二つの会は合併することに。更に平成4年、「大昭会」は協議会に吸収合併される形で一本化され、「耕心会」が正式に誕生しました。

 「耕心会」の組織や事業展開は幅広く、ここで紹介することは避けますが、 活動の中でも、今や県内有数の桜の名所となった大潟村の「菜の花ロード」の維持管理も「耕心会」が担っています。このような歴史ある「耕心会」の一員となったものの、農業に関する知識や技術もなく、どのような関わりを持つべきか悩むところはあります。が、せめて足手まといにならないように、できることから活動に加わりたいと思います。心を耕しながら日々暮していきたいいものです。


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