秋田へは飛行機で帰りました。羽田空港へ少し早めに着き、出発ロビーなどあちこち見てやろうというわけです。
 今月末、羽田空港の国際線ターミナルがオープンし、羽田もハブ空港としてますます重要な機能を果たしてゆくことになりそうです。羽田を利用するたびに、空港施設やサービスが近代化してゆく様子は、喜ばしい限りです。
子供の頃からの飛行機ファンですが、空港が持つ雰囲気も大好きです。
見知らぬ国々や諸外国を結ぶ玄関口としてのイメージがあるからでしょうか。
もう一つには次のような理由がありそうです。

 新聞社に勤務している頃、東京本社には「羽田勤務」という呼称の勤務シフトがありました。一体どんな勤務か?
新聞各社にはれっきとした「航空部」があり、私が勤務した新聞社にも、「セスナ・サイテーション」などの双発ジェット機やヘリなどを運航していました。外国の報道機関、メディアでは考えられない我が国独自の組織形態です。

 日本の民間航空発展の過程で、新聞社が持つ「航空部」の存在は、歴史的に大きな位置を占めて来ました。
それは通信事情が今のように発達していなかった為、航空機が持つ速報性に頼るところが大きく、朝日や毎日新聞などは競って航空機による機械化報道に力を注いできました。
戦後、日本の航空機運航は進駐軍に禁止され一時衰退しますが、その後復興を遂げます。

 経済の発展につれ、新聞航空も再開。新聞社間の競争も激化し、速報性や機動性の必要性から、独自に航空機の運航に力を注いできました。目的は当然航空取材や号外輸送、人員空輸などです。

 私が勤めていた会社でも、東京、大阪、北九州にそれぞれ格納庫、事務所があり、航空部員と共にカメラマンも交代で常駐し、災害や事件取材に備えていました。
月に2~3日、朝から晩まで格納庫の事務所で待機する勤務を社内では「羽田番」とか「羽田勤務」と言っていました。

 前置きが長くなりましたが、そのような事情で羽田空港には懐かしさだけはなく、要人の出入りや航空機事故へ備える意味でも、空港の施設や配置、機能を熟知する必要がありました。
その頃と比べると今の羽田空港はすっかり変わってしまい、面影もありません。
ここ数年、羽田を利用することがありますが、かつて常駐していた新聞社の格納庫を見つけることが出来ません。

 空港は沖合いに更に伸び、施設そのものも近代化し、すっかり「今浦島」です。そこで今回、空港を見てやろうと言うわけです。

 先ず、利用する航空会社によって第1と、第2ターミナルに分かれ、ロビーも出発と到着がフロアによって区分されているのも、今でこそ普通のことですが以前の羽田を知っている身には驚きの変わりようです。

 出発ロビーを中心に、各階に飲食店がズラリと並び、お好みで和洋中から麺類までほとんどが揃っているのも楽しみです。
屋上には展望フロアがあり、お天気が良ければ滑走路を離発着する航空機を眺めながら時間を過ごすことも出来ます。安全を確保するための金網に所々切り口があるのも、写真を撮影するためのサービスかな、と思いますが、うれしくなりますね。

 中部国際空港には温泉施設もあります。
これからもますます楽しめる空港になってゆくことでしょう。

 ところで7月秋田へ帰る際は、秋田空港からリムジンバス、秋田駅からJR、更に村へは循環バスを乗り継ぎ、自宅には午後7時の到着でした。今回は、秋田空港の駐車場を利用、車で大潟村へ帰りましたが、午後4時には自宅に帰ることができました。公共交通機関を利用した場合と3時間の差がありました。
東京と地方を考える上で大きな課題かも知れません。

 しかし、うれしい事に野ざらしだった秋田空港にも立体駐車場が新設され、雨に濡れずに駐車場を利用することが出来るようになった事です。



       <羽田空港第2ターミナル出発ロビー>
       CIMG2798_convert_20101006005248.jpg



       <展望ターミナル>
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