「東日本大震災」から1年を迎えました。
TV画面から流れる映像を見、朝から何度も何度も目頭を押さえるような鎮魂の一日になりました。 
 今日、古いスクラップ帳を取り出してくくってみました。
自身が取材し、掲載された紙面をとっておいたものです。日曜版の特集ページ「風景考」です。
日付は1996年(平成8年)2月6日。

       古い新聞の複写です。
       CIMG9392_convert_20120311221859.jpg


 そこには「田老の大防潮堤」と、田老の家並が写っていました。撮影者は私。
場所は岩手県田老町、現在は宮古市田老。

 その頃、私は東京本社勤務でした。
日曜版「風景考」で取り上げるテーマは「田老の防潮堤」。発行は2月。
何をどう取り上げるべきかを探るため、田老町にはその前年の暮れに1度訪ねました。
町はずれの民宿に泊まり、防潮堤は勿論、街中を歩きまわりました。防潮堤の上も歩きました。防潮堤の外には漁港があり、漁で捕れたサケが売られていました。高さ10㍍の防潮堤水門をくぐり抜ける時には「これなら津波も防ぐことが出来る」と思いました。

 本格的な撮影のため、田老を再訪したのが正月明け早々でした。
真っ青な三陸の海の色が印象的でした。田老の街並みとX字型の見事な防潮堤、そして海を入れた構図が最適と判断。
しかしそのためには、灌木をかき分け背後の山を登らなければなりません。独りで山へ分け入るには勇気が必要でした。
これをやり遂げないと東京には帰れない、と自分を奮い立たせた事を今でも記憶しています。

 写真に写る家々は、ほとんどが津波に流され壊滅状態だと知りました。
人々は、私が登った背後の山へ登り避難できたのだろうか・・・。防潮堤に囲まれた街角からは、海は見えません。
津波の襲来を知ることが出来なかった人もいたのではないか、と想像します。

 昨年2月17日、私は「大潟村写真クラブ」の撮影旅行で青森市八戸市から岩手県宮古市まで行きました。
八戸市から三陸海岸沿いを走り、田老と防潮堤を見て行こうと思いました。残念なことに、山の上にバイパスが完成し、田老の街を通過することなく宮古へ到着。田老と防潮堤を見る事が出来ませんでした。

 山から見下ろした田老の家々と三陸の海、防潮堤を撮影した原画フィルムは、新聞社に保存されているはずです。
何かの形で復興の一助にでもなれば、との思いがあります。

 今日ばかりは何度も何度も、この1枚の写真を眺めています。

       紙面をカメラで撮影した複写です。見苦しいのはお許しを
       CIMG9393_convert_20120311221937.jpg


 

 

 
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