立川談志師匠が亡くなった、とカーラジオで聴いたのは、ハクチョウの姿を探し求め八郎湖に沿って車を走らせていた夕暮れ時。
 夜のテレビニュースでもトップ扱いで報じていました。

 親しかった方々や著名人がその死を悼み、生前の思い出やエピソードを語っていました。
例えば、長年親しく付き合っていきた俳優の小沢昭一さんは、「悪ぶっていたけど、実はいい人、やさいしい人だったんですよ」と、朝日新聞紙上で話しています。芸についてはわかりませんが、師匠を語るのに一番印象深い言葉でした。10年以上前になりますが、私は取材で師匠の写真撮影をしたことがあります。

 どこの紙面掲載だったかは忘れましたが、3回ほどの連続で、それぞれ背景が違う場所で師匠の写真掲載をする、というような企画だったと記憶しています。 
さぞかし気難しい人物で撮影は大変だろうな、と心配しながら担当記者と待ち合わせ場所へ。
上野・不忍池に近い鰻の老舗の一室で、インタビューと撮影が進められました。
落ち着いた和室の障子のイメージははっきり記憶に残っています。

 1人で歩いて現れた師匠は、それまでテレビや噂で聞いたイメージとは違い、気さくで誠実な感じを受けました。
口調は荒っぽくても、周囲への細やかな心配りや気遣いも感じられ、世間一般に与えている印象と随分違い、師匠の一面を見た思いを強くしました。

 後日、街中での師匠の姿を撮影したいと思い、師匠が銀座に出かける日を約束しました。
当日、場所は有楽町マリオン。やはりふらりと1人で現れた師匠は、「良い写真撮ってナ!」と言いながら、気さくに撮影に応じて頂けました。何ということも無いのですが、これだけの懐かしい記憶です。

 毒舌家と言われながらも、多くの弟子や親しい人たちから慕われたのは、その芸風もさることながら、本当の師匠の心を知っていたからなのでしょう。

 ハクチョウの姿はなく、沈む夕日がいつもより赤く大きく見えました。
 
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