2011.08.15 私の戦後
 今日は「終戦記念日」。かつては「終戦記念日」ではなく「敗戦記念日」とするべきだ、との主張もありました。イデオロギーの違いから来るものですが、どちらにしても意義深い日に変わりはありません。
 私は1944年、昭和19年生まれです。
従って戦争の直接的な記憶はありません。私が生まれた時は、父が2度目の応召で中国戦線にいた時と聞きました。父は衛生兵でしたが、電気に関する知識があり部隊でも重宝されたようです。
「皆が大事にしてくれ、決して前線に出さないよう配慮してくれた。主に後方の病院勤務だった」と言う話を父が晩年に話してくれました。

 父の実家は今で言う秋田北空港の近くでした。
貧しい開拓集落にありました。小学校の頃から、私は学校が休みの度に実家に行かされました。
貧しいとは書きましたが、伯父が農業や牧畜をし、自給自足の暮らしにそのようなイメージは感じられませんでした。夏のジャガイモ掘り、冬の厳しい寒さなど、その後の私の人格形成に大きく影響したと思います。

 そんな私に祖母がよく話してくれた父の就職にまつわるエピソードがあります。
貧しさゆえに尋常小学校卒業と同時に、父を就職のために上京させた時の話です。
行く先を記入した名札を胸に縫い付け、遠くの丘の上から我が子が乗った列車を見送った切なさを、私に幾度も幾度も聞かせてくれました。私は子供心にもそれが切なく、悲しくてたまりませんでした。泣けばいいものを何故か歯を食いしばって悟られぬようにするのが精いっぱいでした。

 直接戦争とは関係ないものの、いつもこの日になると思いだされる私の「戦争記念日」です。
皆亡き人となり、私の記憶にだけ残っている在りし日の父と祖母の一コマです。

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