2011.03.12 恐ろしかった
 早朝、ベッドのある2階で目が覚めました。東北関東大震災に続き、又も出し抜けに激しく揺れる現実が信じ難かった。瞬間的に言い知れぬ恐怖感に襲われました。
 日本列島が消滅するのではないかという思いが頭をかすめたのです。
早朝の暗闇の中、枕元のライトやラジオが思うように手に取れず焦りました。これまで風水害や地震の被災地を取材した経験もあり、大きな揺れも怖くないと思って来ましたが、今回の地震でこの自信が崩れました。

 震源地が三陸沖と異なり、長野県というのも衝撃でした。1階のカトレアの鉢が棚から転落、オリーブオイルの瓶が転がっていました。大潟村は干拓地のため、地盤が柔らかいことが原因かも知れません。朝は残りご飯でおかゆを作り腹ごしらえ。寒い朝でしたが、余りに悲惨な現地の情報に頭痛や目まいを覚えました。

 幸い晴天の為、太陽が上がるにつれ暖かくなって来ました。長期戦を覚悟し、調理用にはホワイトガソリン使用のバーナーとランタンを準備しました。特にバーナーは第二次大戦中、GIたちが戦場で使ったストーブが原型の物です。どちらも名古屋でアウトドア用に購入したもので、こんな時に使う羽目になるとは。ランタンはローソクより数倍明るくどちらも買っておいて良かったと痛感するほどのスグレモノでした。

 村内の情報が何か得られると思い、雑貨屋に行ってみました。地震当日から開店、営業をしていたそうです。念のために「乾電池は?」と聞くと「いの一番で無くなった」との返答。村のスーパーへも行きました。
入り口に数人のスタッフが待ち構えていて、紙片片手に買い物客に同行。買い物客が買ったものを紙片に記入し、最後に会計で現金か伝票扱いに処理をするという方法でした。野菜ジュースと大根を購入しました。村内唯一のJAガソリンスタンドではガソリンなどが底をつき閉店状態でした。

 朝、様子を伺いに立ち寄ってくれた姪夫婦が、今度は石油ストーブとカセットストーブを持ってきてくれました。ガス使用の為、停電時でも暖房や調理に支障が無いということでした。これで2日目の夜は温かく過ごせることになり安心。室内でも夜間は5度にまで下がる寒さです。最大の不安要因が取り除かれ、勇気付けられました。有難いことです。

 陽が暮れ、ホワイトガソリン使用のランタンはローソクとは比較できないほどの明るさ。石油スト―ブは温かく、被災者の事を思うと複雑な心境になります。

 夜はレトルトご飯を温め、買い置きのサンマの缶詰、ホーレンソーのおひたしを食べました。
夕食後の8時頃、ウトウトしていると何か電気器具の音に気がつき「もしか・・」とスイッチを押すと照明がつき、電気が復旧したことを確認。思わず「やったー・・」と叫び、TVのスイッチを入れました。

 そこにはカーナビの小さな映像ではよく分からなかった地獄絵のような世界が映し出されていました。悲惨な災害、事故現場に立ってきたにも拘らず、この悲惨な状況に上手く感情が対応できません。
心配している家族に、電気が復旧した事をメールで知らせ、この日は就寝。


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