2011.03.11 大揺れ
 自宅2階でブログを書きながら、参院決算委員会のTV中継に耳を傾けていました。その時「緊急地震速報」が流れました。どこで、どんな地震かと半信半疑でいるうちにぐらぐらと揺れ始めました。午後2時46分、未曾有の大惨事の始まりでした。
 これは大きいと思っているうちに揺れが激しくなり、これまで経験したことがない異様な揺れとなりました。
テレビとパソコンが切れ、停電だと初めて気が付きました。かなり長い間、揺れていたように思います。
家は軽量鉄骨建築の為、崩壊するとは思わなかったものの、地震で初めて恐怖を感じました。

 揺れが収まり、すぐ携帯ラジオで情報を聞きました。しかしその時、どんなニュースを聞いたのか。7㍍を超える大津波とか、マグニチュード8以上とか、今でははっきりとした記憶がありません。その後、蓄えておいた食品をチェックし、卓上カセットコンロとガスボンベ10本、ローソク、登山用のガスバーナーとガスボンベ、ライトなどを確認しました。

 自宅の暖房は、灯油を使う給湯システムの集中暖房です。またキッチンはIC利用の為、停電すると主たる機能がダウンしてしまいます。そこで停電に備え、反射式石油ストーブを購入しなければと、冬になると思っていましたが、ついに買わずじまいでした。午後3時半、石油ストーブを買おうと車で20分ほどの「スーパーセンター・五城目ジャスコ」へ急ぎました。入口は閉ざされ、10人ほどが列を作っていたので私も並びました。間もなく入口に急増されたわずかなスペースに商品を並べ、2人ずつ制限付きで入店が始まりました。ストーブはありません!

 諦めて車に軽油を入れようと敷地内のスタンドへ向かいましたが、停電のため給油ができませんでした。
激しく雪が降る中を、更に電気店やスーパーがある男鹿市船越へ向かいました。20分ほどで到着した電気店はすでに閉店。隣設する大型スーパーも、近くのホームセンターもすべて停電のため、閉店していました。砂をかむような気持ちで自宅へ帰らざるを得ません。

 長い夜に備え各器具の点検をしたところ、色々問題がありました。まずカセットコンロはガスボンベの接点に不具合があり、ガス漏れで異常燃焼します。危険なため廃棄に。単3利用の携帯テレビは機能せず、単1利用のランタンは全く点灯しません。携帯ラジオは受信感度が悪いため、単1利用のカセットラジオに切り替え、常時付けっぱなしで情報を得ましたが、普段の点検がおろそかだったと、危機管理の不備を大いに反省しましたが後の祭り。

 照明器具はローソク、単1利用のライトが5個、アウトドア用のガス式ランタンとホワイトガソリン利用のランタンもありますが、とりあえずローソクを灯し、必要に応じてライトを使いました。夕食は炊飯器に残りご飯があり、納豆や海苔、梅漬けなどで済ませました。

 電話や携帯とインターネットも全て不通でしたが、唯一携帯メールが使えたのが心強いと思いました。子供たちが心配してくれているのが良く分かりました。中でもアイルランドにいる長女から携帯に通話があり、直接話をすることが出来ました。国内では不通状態の携帯だったのに、この時は通じたのです。

  暖房がないため、セーターの上に防寒着とオーバーズボンを着用して過ごしました。暖かくはないけれど寒い思いはしませんでした。刻々報じられる悲惨なニュースに眠れそうもなく、結局深夜までラジオに耳を傾けました。お湯を沸かして湯たんぽに入れ、ベッドにもぐりこみましたが、これはポカポカ温かく役立ちました。

 深夜屋外に出ると月が明るく、星も輝いていました。空を眺めながら長期戦を覚悟、明日はどんな日になるのか。被災者たちはこの月を眺めているのだろうかと考えていました。


           <テーブル(中央)とキッチンカウンター(左)はローソク。下はガスバーナー>
           CIMG5702_convert_20110315150604.jpg

 
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